当時から変わらない、熱気に溢れた町
ーーまず最初に、磯谷さんが海士町へ来ることになった経緯について、まずはお伺いできますか。
もともと京都のホテルに勤めていたのですが、人はどこでどう生きていくのがいいかを考えるようになり、屋久島の自然に惹かれて移住をしました。ほんとうは町づくりに関わりたいと思っていたのですが、屋久島ではツアーガイドや観光業に関わる仕事が多くて、どうせなら自分でコンセプトから考えて場をつくってみたいと思って、また仕事を探していました。1年ほど住んだときに「島で宝探ししませんか?」という海士町の求人を見つけて、「商品開発研究生として、好きなテーマで町づくりに関わってください」ということだったので、ここならやりたいことにチャレンジできそうだと思って、応募しました。
ーーいきなり海士町で暮らすということに、ためらいはありませんでしたか?
応募したときは、海士町が島だとは思っていませんでした(笑)。また島か、とも思ったんですけど、なんでもあるような環境で暮らすことに違和感を感じていたので、離島ということはまったく気になりませんでした。チャレンジできる環境を求めていたし、むしろ都市部と違って住人同士の関わりがあって、それぞれの生き様が見えるというか、生きごたえがあって、それだけでも学びがあると感じました。
ーー移住当初はどのようなお仕事をしていましたか?
最初は環境教育がメインで、中学校で一緒にビオトープをつくって自然復元活動をしたり、蛍の生息環境を調べてマップをつくったり。他にも、映画の上映会やシンポジウムなど、細々といろんなことをやっていました。
ーー今年で移住されて25年ということですが、海士町でこんなに長く暮らすということは想像していましたか?
いえ、移住当初は2〜3年住んだら、また別のことをしたいなと考えていました。でも、屋久島と比べてもさらに人口規模が小さいので、住んでいる方々がどんな思いでどんなことをしているのかをお互いがわかった上で暮らしていたので、そういう環境で生きていくということの大変さと心強さを感じるようになりました。全体を見たうえで、自分がやりたいことを突き詰めるという点では、やりがいにもなるなと。
ーー当時の海士町の暮らしや雰囲気はいかがでしたか。
私が移住した頃はまだ移住者が10人もいなくて、いまのような島の雰囲気はありませんでした。でも、これから島を盛りあげていこうという熱気は当時からあって、いろんなセクションを超えた人々が日々集まって討論して、飲み会もして。私も毎日知らない人たちの飲み会や打ち上げに呼ばれるようなすごい時代でした(笑)。その後、1年以内に地元の方との結婚も決まったこともあり、この島で生きていくんだという実感が湧いてきて。嬉しいなという気持ちがありつつ、責任を感じた部分もありました。

図書館がないまま、図書館をつくるという構想
ーー「島まるごと図書館構想」についても、お話を聞かせていただけますか。
図書館構想が始まったのは、私が移住して8年経った2008年頃。当時は海士町が財政難になり、町が合併するかどうかという流れのなかで、「人づくり元年」と位置付けた活動が始まっていました。そのなかで「図書館が必要だ」ということを当時の教育委員長が提言されて、国のモデル事業の指定を受けて走り出したという形です。
ーー磯谷さんご自身が関わるようになった経緯についても、教えてください。
私はそれまで教育委員会で環境に関わる仕事をしていたのですが、妊娠・出産を経て、子育てもひと段落したタイミングで、NPOで仲間とともに宿泊やカフェを運営していた頃でした。そのカフェでも自分の本を貸し出したりしていて、図書館自体には興味がありましたし、経営的にも別の仕事をしたいという考えもあったので、図書館事業が始まるタイミングでメンバーが公募されて、応募をしたんです。もともと司書の資格を持っていたので、ここで生かされることになるとは思いませんでした(笑)。
ーープロジェクトの立ち上げはやはり大変でしたか?
事業が始まったタイミングで図書館を建てるめどは立っておらず、置けるところに棚を置いていこうということで、事業を任されたような形でした。そこで、港に本棚をつくるために観光協会にお話に伺ったり、保育園から高校まで学校へ日替わりで行ったり、公民館などいろんな場所にお願いして回らないといけなかったので、同じ島とはいえこれまで暮らしてきた世界とは入り込み方もまったく違って、すごくハードな日々でした。
ーーそうした努力もあり、少しずつ島全体へと本棚が広がっていったと。
はい。たとえば港でも最初は棚2つだけだったところから、今では1階2階とレストラン船渡来流亭にも棚を置いてもらえるようになりました。棚も昔は簡易的なものだったところから、ちょっとずつグレードが上がって、広がってきているなということを実感するようになりました。
ーーその後、いよいよ図書館がつくられることになるわけですか。
図書館があったらいいねという空気感が出てきて、構想から2年くらい経って海士町中央図書館が建設されることが決まりました。図書館のある建物の耐震工事をやることになったので、それならば拡張して図書館を増築しようというタイミングでもあったんだと思います。当時は蔵書が少なかったため書籍数を増やすためにクラウドファンディングを活用したり、いろんな取り組みを行いました。
ーー構想の立ち上げ期とも、また違った大変さがあったのではないでしょうか?
島全体でも、図書館事業というものがある程度認知されていたので、見守っていただけるようにもなり、初期と比べるとすごくスムーズだったように思います。ただ、ほかの図書館の視察などを十分に行えたわけではなかったですし、情報も限られていたので、運営については手探りというか、どうやって自分たちで図書館をつくっていくのかをすごく悩みましたね。それでも、コンサルなどに頼むのではなく、生活の実感のなかで必要だと思うものを着実にやっていこうとは考えていました。

住人のサードプレイスとして、さらにその先へ
ーーリアルな図書館ができるということで、どんな場所にしたい、というような思いはありましたか?
「この図書館があるなら大丈夫」と感じさせるサードプレイスになればいいなと思いました。私自身がこの島で暮らしていくということを考えたときに、もともとカフェが好きだったこともあり、みんなが集える場だったり、自分だけの豊かな空間・時間があることが欠かせないと感じていたんです。だからこそ、本が好きな人のためだけに図書館をつくるのではなくて、図書館を通じて町がより良くなっていくような、町づくりと地続きになっている図書館をつくりたいと考えました。
ーー実際に図書館に来られる方々からはどんな声を聞きますか?
「この図書館が心の拠り所である」ということを言ってくださったり、「図書館の空気感が好きで、救いの場になっている」という声もあったりします。この図書館の雰囲気を見て移住を決めたという方が何人もいらっしゃいます。そういう声を直接聞くことができるのも、私たちへのご褒美なのかなと。それから、子どもが泣いてもみんなが見守ってくれるような、子どもが子どもらしくいられる雰囲気をつくってくれてありがたいという声もありました。つい最近、別の図書館を利用している方から「まわりに怒られるから子どもを連れて行けない」という話を聞きまして、それぞれが自分らしくあれる場所として図書館があることは、町に対する安心感にもつながるんだということを実感しました。
ーーまだまだ図書館も進化してゆくのかなと思うのですが、これからチャレンジしたいことはありますか?
これまでも島のみなさんと町のこと、暮らしのことをなんでも言い合える場所をつくったり、横のつながりが生まれるような場として開いたりもして、最近では「フューチャーセンター」という言葉もありますが、そういう場になれたらいいなということは変わらずに思っています。加えて、まだまだ町にはたくさんの課題があるので、この場で集まった先でなにかをやってみようという連帯や行動が生まれていくとさらにいいなと考えています。
ーー磯谷さんご自身は、これからについて、どんなことを考えていますか。
海士町には熱い夢や志を持った人がたくさんいて、その密度が高いということが当たり前じゃないんだということを日々感じています。そういうなかで、仕事以外の部分でも自分がやってみたいと思うことを声に出すだけで仲間が見つかることもあるし、個人的にもなにか新しいことにチャレンジしたいなと思っています。
ーーでは最後に、島に興味を持ってくださる方々に向けて、メッセージをいただけると嬉しいです。
島とはいえ、ここは閉じた環境ではなくて、思ったよりもひらかれた場所で、島に住んでいる方ともそうじゃない方ともたくさんの出会いがあります。都会では得られない濃密な時間が流れていて、意外性もたくさんある島なので、島に来てもらえればその面白さを体感していただけるかなと思いますし、一緒にチャレンジできる仲間もたくさん見つかるかと思います。仕事かどうかにかかわらず、潜在的ななにかを発揮できる環境があるので、図書館も含めてぜひ一緒に面白いことにチャレンジできたら嬉しいです。
