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伝統銘菓を継承し、身の丈にあったペースで島に恩返しをしていきたい。

【連載】「ないものはない」という生き方 vol.05

伊藤茜

2026.07.14

Interview

『ないものはない』を掲げた島根の離島・海士町。人口約2000人という小さな島ながら、ここには『ないならつくればいい』という、このキャッチコピーを体現したかのような個性豊かな人々がたくさん暮らしています。この連載では、そんな自分だけの暮らし、あるいは仕事をみずからつくり、暮らしている人々を随時ご紹介。今回登場するのは、大学卒業後に新卒で海士町へ渡り、観光ガイドやレストラン立ち上げ、伝統銘菓の事業承継を経て、現在は『お土産と手仕事のお店 つなかけ』の運営を中心に島の手仕事を形にする伊藤茜さんです。

島を見たこともないのに、住むことを決めた

ーーまず、島のことを知ったきっかけを教えてください。

大学は京都の造形芸術大学(現・京都芸術大学)で、ジュエリーを専攻してものづくりを学んでいました。当時の大学の理事長が海士町出身の方で、同じ大学の先輩や後輩たちが結構島に出入りしていたんです。

一番最初の記憶は大学1年生の時。海士町の中学生たちが大学に来て、「海士町ではこんな取り組みをしています!」と、大人の視察並に熱く語る場があって。「なんだこの子たちは!」と衝撃を受けたのを覚えています。その時に一緒に民謡を踊ったことなどもあり、どこか印象に残っていました。

ーー そこから、新卒のタイミングで移住を決められたのはどうしてですか?

実は卒業間近になっても就職が決まっていなくて、プラプラしていたんです(笑)。そうしたら、一番お世話になっていたゼミの先生が「海士町で、お土産開発やまちづくりをしてみないか?」と声をかけてくださって。今思えば本当に行き当たりばったりの「島流し」みたいですよね。

親からは「4年間もものづくりの勉強をしてきて、なんで観光の仕事なん?」と、応援半分、反対半分という感じでした。 でも、まわりの同級生が東京に行ったり作家活動を続けたりする中で焦りつつも、私は人と同じことをしたくなかった。島でジュエリーやものづくりをするのも面白そうだと思ったし、最初は地域おこし協力隊の3年間だけ頑張って、ダメなら帰ればいいや、くらいの軽い気持ちでした。

パンの配達で見つけた、島の居場所

ーー 島に来て最初はどのような仕事をしていましたか?

最初の1、2年目は島の文化を紡いでいく会社「隠岐桜風舎」の立ち上げに関わりながら、隠岐神社境内にある建物ををリノベーションした「離島キッチン海士」のレストランを作るプロジェクトに携わりました。当時は観光ガイドもいなかったので、ガイドをやりつつ、キッチンの仕入れやホールまで、何でもやるなんでも屋状態(笑)。

もともと人前で話すのが苦手なタイプだったんですが、二十代前半のほやほやの時に、60代以上の年配のお客様を相手に必死で観光ガイドをやる中で、楽しんでもらえたりお礼の手紙が届いたりして、少しずつ自分に自信が持てるようになっていきました。

ーー その後、なぜ菓子・ベーカリーの事業継承に?

4、5年目の時に、それまで島で海士町銘菓の白浪やパンを作ってきた山中さんご夫婦が辞められるというお話を聞きました。70年続いてきた「常盤堂」の白浪、島で唯一のパン屋さんでもある「ときわベーカリー」のパンは海士町にとって本当に大切な存在だったので、なくなってほしくないという気持ちが強くあって。

観光協会のマルチワーカーのような働き方で、週に何回かパン詰めのお手伝いに行けたらなと思っていたタイミングと、当時から働いていた「観光休憩所(現・つなかけ)」をリニューアルして、菓子・ベーカリー施設を併設するという話が自分の中でつながりました。そこから未経験ながら白浪やパン製造に関わるようになって、7、8年目くらいまで続けました。この事業承継が、私にとってすごく大きくて。

ーー 伊藤さんにとって、どのような変化があったのでしょうか。

それまでは「一人のIターン移住者」だった私が、商品を港に配達しに行くたびに、地域の人から「パンのあの子か」って声をかけてもらえるようになったんです。時にはおばちゃんに「白浪の味が変わったんだけど!」って怒られることもあったんですけど(笑)。それも含めて、自分の存在が島に知ってもらえたというか、自分自身の存在意義につながっていったんだなと感じます。

画像:本人提供

ーー パンの製造販売を始めたことで、「つなかけ」にはどんな変化がありましたか?

もともとは教育委員会が所有している「無料観光休憩所(現・つなかけ)」だったときは、冬場は閉まってしまうし、地元の人はほとんど立ち寄らない、ガランとした場所に少しお土産が並んでいる空間だったんです。 隠岐神社周辺って、やっぱり観光客のための場所というイメージが強かったんですけど、そこに「パン」という日常の最たるものができたことで、地元の人が日常的に買いに来てくれる空間になりました。それがすごく嬉しくて、観光のお客さんだけでなく、もっと地元の人にも届く場所にしたいと思うようになっていきました。

画像:本人提供

身の丈に合ったペースで島に恩返しを

ーー 海士町に来て12年が経って、さまざまな点で海士町の文化にどっぷりと浸かっているのかと思いますが、いかがでしょうか?

地域の綱引き大会に出るためにみんなで練習して、当日は勝った負けたで大騒ぎしたり、その後の直会(※なおらい、飲み会のこと)で3時間以上も同じ大会のビデオを延々と見続けたり(笑)。そういう泥臭いことを心から楽しいと思えるんです。移住1年目からすでに10年以上途絶えていた海士町全体の盆踊り大会を復活させる実行委員会に入れてもらったりもしましたし、伝統のお祭りで笛を教わって練り歩いたりもしました。 車で15分かかる通勤の景色の美しさにも、まったく飽きることがなくて。そんな景色を毎日見られるだけでも、本当に幸せだなって実感しています。

ーー 最後に、これからの挑戦や、未来の暮らしについて教えてください。

最近は「島じゃ常識商店」のプロダクト開発で、島のおじいさんから教わった昔ながらの手編みのカバン(民具)を再現して販売する仕事にも携わらせてもらっていて、ものづくりの楽しさがまたつながってきています。

つなかけに関しても、「お土産と手仕事のお店」というサブタイトルがついているのに、まだ十分に「島の手仕事」を表現しきれていないと思っています。島の素材をつかったものや島の方がつくられた作品を置いて、海士町のことをより深く知ってもらえるようなお店を目指したいですし、自分が昔学んでいたジュエリーやアクセサリーも、いつかここに置いてみたいという目標もあります。そんなふうに、つなかけで働くスタッフにも、ものづくりの楽しさや一場面ごとの接客のやりがいを感じてほしいです。島の人にもいい刺激を与えられるお店にしたいなと思っています。そうやって少しずつ、島に恩返しをしていけたらいいですね。

伊藤茜:お土産と手仕事のお店つなかけ 店長

株式会社隠岐桜風舎 2015年、京都の造形芸術大学を卒業後、新卒で島根県海士町へ移住。観光協会でのガイド業務や「離島キッチン海士」の立ち上げを経て、島のベーカリーや伝統銘菓「白浪」の事業承継を行い、現在は隠岐神社前にある「お土産と手仕事のお店 つなかけ」の売店運営を中心に、地域の民具を取り入れたプロダクト開発なども行う。島根県海士町在住12年目。

取材 / 執筆:角田貴広、飯田萌希
撮影:田野英知

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