※この記事は、株式会社海士が2025年に発行した書籍「自然・人間・営み – 隠岐の島・海士町の豊かさを巡る24のストーリー – 」から抜粋した内容をもとに編集しています。
隠岐諸島には大学がないので、ほとんどの人が高校を卒業して島外へと出ていきます。大学で出身地の話になると、私たちは「何もない島」で育ったことに劣等感を感じて、隠岐出身とは言えませんでした。隠岐といえば天皇が2人流されてきた島。それ以外には自然があるだけだという教育を受けてきたのです。しかし、人口が減少していくなかで、将来の子どもたちが隠岐にもっとプライドを持つことができたら、島が元気になるかもしれない。そんな思いから、まずは自分たちが隠岐のことを知るための勉強会を始めました。そして、その内容をまとめて200ページ近いガイドブックを作りました。
私はその過程で、この島がいかにおもしろいかということに気がつきました。まず、隠岐の生態系は簡単には説明できない。それこそがこの島の豊かさに直結しているとも思います。例えば、世界遺産の屋久島の自然環境は簡単に説明がつきます。海岸に行けば鹿児島らしい南方系の植物が見られ、標高が高くなるにつれて高山系の植物が見られる。しかし、隠岐では海抜に関係なくあらゆる植物が海岸に生息している。それに、北海道と沖縄でも見られる植物が共存し、朝鮮半島やロシアにあるような大陸性の植物があったりもするのです。
2万年前の氷河期時代には、海面が130メートルも低く、隠岐と島根半島が地続きでした。高山系の植物や北にある植物も気候変動のなかで100年、200年かけて移動して、そこで発芽して生き残りました。そうして隠岐に多様な植物がギュッと閉じ込められたのです。北方系も南方系も、大陸に分布する植物もある条件で閉じ込められると、共存できるということが隠岐ではじめてわかりました。さらには多様な植物があることで、それを食べる昆虫などの多様性へとつながっていく。
また、2億2千万年前にできた片麻岩が隠岐と飛騨地方、中国に分布することで、日本列島が大陸とつながっていたということが証明されました。しかも、そういう岩でさえ道路沿いで簡単に見つけることができる。地球のマントルに触ることもできる。この島では地底40キロにあるマントルが海岸に普通に転がっているのです。
このように、隠岐諸島の成り立ちを知ることによって、日本列島がどういうふうに動いてきたかを知ることができます。隠岐を通して日本や地球を知ることができる。そういう場所は世界でもなかなかありません。隠岐で隠岐を知るのではなく、隠岐を通して日本や世界を知ることができる。隠岐はある意味で日本や世界の縮図でもあるのです。
地球はおよそ2億2千万年前のパンゲア大陸がわかれて6大陸になりましたが、最近の研究では2億2千万年後にまた1つになると言われています。今も大地は動いているわけです。そういう地球のおもしろさをこの場所から知ってほしいし、伝えていきたいと思っています。
隠岐の景色は海に削られてできています。つまり、いつかはなくなってしまうのです。摩天崖の断崖絶壁だって、600万年もの歴史のなかの7000年という一瞬で削られて生まれたもの。それは、縄文時代に海面が高くなった時代のことでした。そして今、また地球温暖化で海面が上がっています。削られる速度も速くなっています。いつかなくなるその景色を見ながら、自分たちは今の時代にどうすべきかということにもぜひ思いを巡らせてみてほしいと思います。